- 講演題目:‘But we must beg the question of syntax’: Ramsey contra Wittgenstein
本発表は、『哲学探究』第81節において報告されている、ラムジーによるウィトゲンシュタイン批判の内実を、現存するラムジーの遺稿の体系的な吟味により再構成する。1) ラムジーは28年4月にウィトゲンシュタインの、論理的思考の明晰化としての哲学というモチーフを検討する過程で、いわゆる分析のパラドックスに遭遇し、これを解消するような意味の理論が必要であると判断した。しかし、そうした意味の理論の構築は即座にはできず、この課題は保留された。2) 代わって、ラムジーはその他多様な問題群に取り組むことになったが、特に理論の性質や因果性について考察する中で、「事実の総体」としての現在の世界の記述ではなく、未来の出来事に対する予測をベースとしたプラグマティックな枠組みを全面的に採用することとなった。3) この帰結こそが、29年9月に書かれた一連の草稿群であり、ここにおいてラムジーは28年に分析性に関して生じた課題を解消しうる枠組みに達したが、これは同時に29年以降もウィトゲンシュタインが依然として保持していた思考と計算とのアナロジーや、哲学が思考の明晰化を行うという発想に根本的な疑義を投げかけるものであった。4) ラムジーの批判はこのような深い射程をもっていたため、ウィトゲンシュタインが当初ラムジーの批判を解さず、その真価に気づき始めたのが33年末にまでずれ込んだという事実にもかかわらず、34年以後の思想の発展において重要な役割を占めることとなった。以上を現存する資料の批判的な吟味により実証する。